アカモノ
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昨年初めまで使っていたPentax K100Dには、SIGMAの17-70mmを付けていました。F2.8-F4.5と比較的明るく、1:2.3とほぼ1/2倍までのマクロ撮影ができるという、私には持って来いのレンズでした。
でも、さすがに6メガ機では不十分になってCanon EOS KissX3に買い替えた時、レンズもこれの後継としてちょうど出た、OS(SIGMAで言うところの手ブレ補正)内臓の新レンズ、17-70nn F2.8-F4.0 OSにしました。ただ、手ブレ補正を搭載した分、マクロ時の最大倍率が下がり、1:2.7となっていました。これは予想以上に大きな差で、旧レンズでは70mmにした時にほとんどレンズ先端に触れんばかりに近づけての接写ができました。後継レンズではそこまで踏み込めず、普通のマクロ機構付きズームレンズよりましな程度でした。手ブレよりも動体ブレの方が問題となる接写では、この焦点距離ではあまりOSの恩恵を受けないことと(EF100mmMacro L ISは例外。あの手ブレ補正はスゴイ)「あと一息近づいて撮りたい」と感じることがこの春からよく感じるようになり、旧レンズをまた使いたくなりました。
そこで、今日、とうとう旧17-70mmを中古で入手しました。しばらく両方使ってみて、これからどちらを使っていくかを決めるつもりです。
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兄弟揃って本が好きなのは、両親の影響も大きいと思います。私は職業柄で、家内は大学で児童文学にしたしんできました(卒論は宮沢賢治)。そんなわけで、長男が幼稚園の頃から、毎週のように郡立図書館で本を借りたり、家を増築してからは我が家の書庫から(特に兄は私に無断で)本を持ってきたりします。
そんなわけで、例えば斉藤 洋の「ルドルフとイッパイアッテナ」のように、兄が読んでいた本を、6年後に弟が読んでいくことが多いのですが、親の影響は全くなしに、図書館で見つけた同じ本に兄弟揃って熱中する、と言うことも見られます。それは、エルジュの「タンタンの冒険旅行」シリーズです。これは、大人が読んでも面白いです。
2人の子供が、これからどんな読書傾向になっていくのか、今から楽しみです。(とはいっても、既に兄の方は、ほとんど私の後追いをしている感じですが)
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D300 + MicroNikkor60mmF2.8
至仏山の高天原には、ハクサンフウロも咲いていました。
長男に後れること数ヶ月、ジョナサン・キャロルの「木でできた海」を読み終わりました。新潟に出張のバスの中の行き帰りで。さて、長男に感想を聞いてみましょうか。
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EOS Kiss + SIGMA17-70mm OS
もう少し実がついていると、もっと絵になるのですが・・・・・・・
Magic TrackPad導入。まだ使い方に慣れず、ぎこちなくなってしまっています。
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吾妻鉱山は、草津白根山周辺の山の中にあった3つの硫黄鉱山のうちの1つです。一時期は活気を呈していましたが、公害による工場の排煙対策で硫黄が煙から分離できるようになると、需要が急激に落ち込み、次々に閉山に追い込まれました。40年近く前のことです。
父は、その吾妻鉱山に併設された小中学校の新任校長として赴任したのでした。当時は交通の便が悪くて父は週末にしか帰れず、小学生の私と母はほとんど母子家庭として生活していました。でも、一回だけ、吾妻鉱山に連れていってもらったことがあります。その時は、採掘された大量の硫黄の山、従業員が住むたくさんの寄宿舎、そしてその子供たちが通う学校を、とても興味深く眺めたものでした。そして、冬には人の背丈よりも雪が積もると話を聞かされ、その時の生活を想像したものです。
この吾妻鉱山も、父が校長の代で閉山となり、その後しばらくして夏場の避暑地のテニスコートとして売り出そうとしましたがうまくいかず、そのまま放置されてしまいました。その吾妻鉱山に、30数年ぶりに行ってきました。
EOS Kiss + SIGMA17-70mm OS
嬬恋の三原から万座までの有料道路から道が分岐する場所には、碑が建っていました。
その隣には、廃屋の前に地蔵様が立てられていました。こんなに時が経っても、まだお参りする人もいるようです。ここの関係者だったのでしょうか。
地蔵様の足下には、かつてここでとれた硫黄が供えられていました。
しばらく歩いて鉱山の敷地につくと、その入り口の両側に立てられた門扉からは、「吾妻鉱山」の字がはぎ取られていました。
そしてその向こうには、たた草原が広がっているだけでした。かつての施設、建物のうちで残されているのは、たった1つ、学校の体育館だけでした。
30数年の時の流れを噛みしめながら、もと来た道をもどりました。来年の春や夏にはまた来て、あたりの植物たちを見てやろうと思います。
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D300 + MicroNikkor60mmF2.8
けっこう急坂に苦労して高天原についた時、そこにはタテヤマリンドウのほか、様々な花が咲いていました。けっこう感動しました。
長男との話、その2
「お父さん、本の書評(どんな本だ?)にディックの「ヴァリス」が面白いって書いてあったんだけど、貸してくれる?」 長男、書庫の私の専有部分(ほぼ5/3)のある一角に、サンリオSF文庫版(もちろん絶版品)と創元推理文庫版の両方のヴァリスが、夢野 久作の「ドグラ・マグラ」。小栗虫太郎の「黒死館殺人事件」(勿論、絶版のハヤカワ・ミステリ版と、河出文庫版)などといっしょにおいてあるのを、気付いていたようです。「でも、まだちょっと難しいと思うぞ。キリスト教についてもっと知らなきゃならないし、グノーシス主義とか、クムラン教団とか、キリスト教発生前後の宗教事情が解ってからの方が面白いぞ」.「う〜〜ん、そうなのか。じゃあ、その後の「聖なる進入」と「ティモシーアーチャーの転生」も?」「あれはそれほどでもにないけど、ヴァリス三部作ってくらいだから、最初を読んどかないとね」「ん、わかった」
確かに、これらの本は。まだ中学2年生には難しいのではないですかね。
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かつて野反湖は、「野反池」と呼ばれた湿原で、その高層湿原は尾瀬によく似ていたそうです。でも、1953年から工事が始まったダムのせいで、湿原は消滅し、現在のガレた湖畔にかこまれた野反湖ができました。ちょうどそのころ、結核で入院していた父は、調査できずにさぞかし残念だったことでしょう。事実、その当時の野反湖池の植物標本はほとんど残っていません。
で、今回の休みの日に。その野反湖のガレた湖畔を歩いてきました。さすがに全部は無理でしたが、ここぞと思うところは行って見ました。
すると、一箇所、面積的にはごくわずかですが、流れ出る水を受けて、ミズゴケが生える湿地ができているところがありました。昔は、こんなものではなかったのでしょうね・・・・・・
一度壊された自然は、本当に返らないものです。
EOS Kiss + SIGMA17-70mm OS
せっかく今日は私は休みの日なのに、台風が接近。フィールドに出られません。残念。
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D300 + MicroNikkor60mmF2.8
至仏山の高天原に近づくと、シブツアサツキも姿を現しました。ただ、このシブツアサツキ、「Flora of Japan」(講談社)では、アサツキのシノニム(学名が違うだけで、実際には同じ植物)に落とされていますが。
5月病というのはありますが、9月病というのもあるのですかね? 猛暑が原因ではなく、このところ心身共に不調です。この前は、貧血で前にぶっ倒れ、顔の左側面をだいぶすりむいてしまいました。
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