追憶
父は、14年間の闘病生活を耐えて、教員採用試験を受けたのが40歳と、規定の年限ぎりぎりでした。そして、療養のために始めた植物の分類を、採用後も続けました。ただ、自動車免許をとりそこねていたので、群馬県の極端に貧弱な公的交通機関をずっと使っていました。そして、私が大学生になって免許を撮ると、私を足がわりに使い始めました。ただ、当時の私は植物の分類をまったくする気がなかったので、父の話す解説は、耳の右から左に流れていきました。その後、父は退職してから一念発起し、57歳にして免許を取り、自分で植物を調べに出かけるようになりました。
私が大学生だった頃、ふもとまでつれていって2人で登ったある山で、父は道端のスミレを指さし、「これは○○スミレと言ってな、とても珍しいんだぞ」と言いました。そして、父が植物から引退して10年後、亡くなる前の年から、私がそのスミレを探さなくてはならなくなりました。詳細な父の記録を調べても、なぜかそこに入力してある花期はずれており、私は自分で何回もその山のその場所に行かなければなりませんでした。
そして今月もまた登ってきました。でも、また見つかりませんでした。父に反撥などせずに、学生時代から植物の勉強をしていればよかったとつくづく公開しています。
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